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手塚治虫とアニメを作った若者たち

【TVアニメ創作秘話〜手塚治虫とアニメを作った若者たち~】新連載第1話:ネタバレ&感想

【TVアニメ創作秘話〜手塚治虫とアニメを作った若者たち~】新連載第1話のネタバレ

かつて「日本でTV案目を作るのは不可能」そういわれた時代があったそうです。

昭和37年(1962年)12月31日。

世界初週刊テレビアニメ「鉄腕アトム」の危機は放送日前夜にありました。

年月は飛んで2018年5月。

「手塚先生と一緒に鉄腕アトムを描いたのは忘れがたい想い出ですよ」

元・虫プロダクションアニメーター&アニメーション監督杉井ギザブローはいいました。

我々取材班はアニメーション作家としての手塚治虫を知るため杉井ギザブロー監督の元を訪
ねました。

「あぁ、僕が21歳で投影動画をやめてぶらぶらしていたとき、友人の月岡さんから、お前
手塚先生のところへ行け、先生がアニメーションをやるぞ!」

と言われ、それが昭和36年(1961年)のことでした。

「あの月岡さんから紹介された杉井ですが」

手塚先生の第一声は半世紀たった今でも覚えている。

「ぎっちゃん待ってました!ぎっちゃんの腕前は聞いています。明日からきてください。」

手塚先生のイメージは大きくて優しい人。

そのイメージは生涯変わりませんでした。

「久しぶり、ぎっちゃん!」

と声をかけたのは手塚プロダクション動画部演出家&アニメーターの坂本雄作でした。

動画部のリーダー格だった坂本さんは投影ドプが時代の」先輩でした。

「山さん、彼が噂の・・・」

動画部演出家&アニメーターの山本映に紹介しました。

矢っ元はその著書「虫プロでの興亡記」で杉井義三郎をこう描写しています。

「ひょろっとした長身の煩瑣編むな若者が(中略)東映動画で天才と家われるアニメータ
ーだという。ひょうきん者でまったくアルコールが飲めないくせに宴会では必ず裸踊りを
やり女性を困らせるのが得意とか」

と書いたそうです。

「せっかくだし、なにか書いてよ」と言われ、「ある街角の物語」の「蛾」でした。

「ある街角の物語はいわば��\実験作品だ。あれで俺たちが食えるわけがない。だからさ、やろうぜ、ぎっちゃん。アトムを毎週テレビで!」

世界初の毎週連続アニメーション。

「いいっすねぇ。やりましょう!アトムなら映像向きですよ」

「山本も賛同してくれている実現すれば世界初だぜ!世界初!」

そんな若ものの遠い夢をたった1人真に受けた大人がいた。

実はアトムのTV化を坂本さんは投影動画時代から提案していましたが、上層部に却下されていました。

当時の試算では毎週30分のあのイメ作りに3000人が必要。

大手の東映動画不可能と判断したことに僕たちはわずか30人で挑んだのです。

「絵を動かすな、という指示!」

しかし、補足のころに「アトムあっと驚く」と書かれ足りします。

アトムあっと驚く2秒。

ダラダラ流れる冷や汗。

そこに手塚先生が

「目と口だけ別に書いて動かせばいいんです。これはアニメーションじゃなくアニメなんです」

と満面の笑み。

1分間に24枚もしくは12枚の動画を使うフル・アニメーションに対し、限られた枚数で動かす手法のリミテッド・アニメーションと呼ぶ。

この当時はリミテッド・アニメーションへの理解がなく単なる手抜きと思えて抵抗を感じ
ました。

だがリミテッド・アニメーションといえど30分放映には3000枚近い枚数が必要で徹
夜の日々が続きました。

同年11月「鉄腕アトムは2か月後の元旦に放送開始です。必ず成功させましょう。」

広告代理店萬年社穴見薫(あなみかおる)と手を組み広報にも力を入れました。

東京帝都大学出身で特攻隊の生き残りという異色の経歴の穴見さんは、当時の数少ないアニ
メを理解する“大人”でした。

「いま何日かな」

「いま何時と聞くのが普通の会社だぞ」

お腹がすけば食べて、睡魔にたえ切れなかった眠り、昼夜別なくひたすら描き続けました。

ですが「手塚先生の指示が来ない!先生はまだか!」

コンテもシナリオも来ていないから待つしかないんだよな。

「こうなりゃ先生に直談判だ」

「すべての元凶は先生の殺人的スケジュールです。マンガをやめアニメに専念するかアニ
メの方は我々に一任してください。アニメの制作費を、賄うために漫画を増やしてアニメ
ができない。これじゃ本末転倒ですよ」

その日、手塚先生は風邪を押して寝床でマンガを描いていました。

「やる気はありあます。どうか僕を信じてついてきてください」

結局4話までは手塚先生がすべて指揮し、5人の原画家が順番に各話を演出することに決まりました。

しかし、手塚先生担当の4話は大みそかになっても上がりませんでした。

「俺はTVアニメを提唱し、手塚先生とともにみんなと今日までやってきた。だが先生担
当の4話のコンテがまだこない!」

編集部からは

「明日の第1話テレビ放送時点でストックは3本・・・スケジュールが破綻す
ることは目に見えている」

山本さんの右手は紙との摩擦で皮が破け出血し、包帯を巻いて絵を描いるありあさまだった。

ほかの人たちは「やっぱり無理だったんだ」と悲観的になっていました。

「穴見さんのところに行くぞ!」

そして「この件に関しては手塚が悪い。自分が描きができるから24時間か描けるから。君
たちもできると勘違いしている。だが君たちはそんな手塚治虫と同じ弓を創る今日は共犯
者じゃなかったのか?「アトムが」が失敗すればTVアニメに未来はない。今後スポンサ
ーはつかなくなるだろう。世界初前人未到の開拓者というプライドはどうした」

風邪を押して手伝いに暮れるようになりました。

「すみません、ぎっちゃん、30分寝かせてください」

と言って机の下で寝だす手塚先生。

「マンガもアニメも止めない!決してあきらめずに子供時代の夢を追いかけ続けている!」

「ここが正念場だ!」と気合をいれます。

「実際問題4話は物理的に間に合わない。だがオレが担当している5話ならひょっとして
まにあうかもしれん!4話と5話の順番を入れ替え5話を1週間で完成すれば6話以降のスケ
ジュールも回りだすぞ!みんなやるか?」

「やりましょう」

「やろうぜ」

「やるしかないだろう」

「鉄腕アトム」放送前夜昭和37年(1962年)12月31日この日虫プロは1つになった!

そして昭和38年(1983年)元旦「鉄腕アトム」放映開始!

1話の視聴率27.4%シリーズ最高視聴率40%越え!

まさに歴史的快挙だった!

「すごい、おもしろい」

限られた条件を逆手に取った発想で手塚治虫はアニメ史に革命をもたらしましたのです!!

 

 

【TVアニメ創作秘話〜手塚治虫とアニメを作った若者たち~】新連載第1話の感想と次回2話の予想

今、私たちが見ているアニメは「鉄腕アトム」が元になったんですね。

知らなかったです。

しかも世界初とかすごすぎです!!!

マンガやアニメは日本独特の文化ですが、もしかしたら「鉄腕アトム」の存在なしにはあり得なかったのかもしれないと思いました。

手塚先生一人だけでは叶わなかった偉業も、信頼できる仕事仲間に恵まれたことによって、世界にアニメの大革命を起こしたわけですね!

次号ですが、順調に言っていると思っていた「鉄腕アトム」の政策にまた新しい危機が訪れて波乱の予感!?

続きが楽しみになってきました!

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まりりん
マンガ大好き女子です! 週刊少年マガジンやサンデーの最新話を爆読みして ネタバレ&感想を書いています♪